“周期律表”という言葉について
【要旨】
今日現在、“周期律表”という言葉は正確ではありません。正しくは“周期表”です。
【学術用語の定義】
・元素を原子番号の順に並べるとその性質が周期的に変化するという法則のことを“周期律(periodic law)”という。
・この周期律に基づいて元素記号を並べ、作成した表のことを“周期表(periodic table)”という。
【現在の状況】
インターネット上では“周期律表”と“周期表”のどちらも見受けられます。新聞や雑誌の記事でも、“周期律表”を時々目にします。しかし、高等学校の化学の教科書、大学での化学の教科書、化学の辞書、化学の専門書にいたるまで、化学分野では“周期律表”という言葉は使われていません。例えば「化学大辞典」、「理化学辞典」、「化学小事典」、「学術用語集(化学編)」でも“周期律表”という項目は存在しません。
【英語では・・・】
周期表は英語で"periodic table"、周期律は"periodic law"と言います。
英語でも、"periodic law table"という言い方はありません。
【なぜ“周期律表”は普及したのか】
根拠はありませんが、もしかすると“周期律(periodic law)”と“周期表(periodic table)”という2つの言葉が、いつの間にか(何となく語感で)合体してしまった造語なのかもしれません。何となく長い方が(漢字3文字よりも4文字の方が)正式であるような印象があるのかもしれません。もし、「周期律に基づいて作成した元素記号の表のことを周期律表とよぶ」と決めてしまえばそれはそれで問題はないかもしれませんが、今日現在、化学を専門とする人々の間で「周期律に基づいて作成した元素記号の表のことを周期表とよぶ」と認識されている現状から、「周期律表」ではなく「周期表」を使うべきです。英語との互換性の観点からも「周期表」の方が好適です。落ち着いて考えてみれば、「周期律」は元素の周期性に関する「律(きまり、掟)」であり、法律、戒律、規律などと似ています。法律表、戒律表、規律表と聞けば、表の中に「律(きまり、掟)」が書いてあるイメージを持ちます。やはり「周期律表」は日本語としても的確とはいいがたい表現のように思います。
【日本における“周期律表”もしくは“周期表”の使用履歴】
私の手元にある書籍から、日本の書籍における“周期律表”もしくは“周期表”の使用履歴を辿ってみたところ(詳しくはこちらを参照)、過去には“週期律表”や“周期律表”がごく普通に使われていた時代のあったことを知りました。周期律(週期律)に基づいて作成した表のことを周期律表(週期律表)とよぶ、当時のことを推測すればむしろ自然なことかもしれません。ではいったい、日本ではいつ頃、“周期律表”ではなく“周期表”を使おうということになったのでしょうか。ドイツ語や英語との統一を図って、“周期表”となったのでしょうか。
・ロスコウ氏撰, 市川盛三郎譯, 文部省, “小學化學書”, 1874年(明治7年)10月15日發行.
→元素化合量略表の掲載はあるが、周期表の掲載はない。
・アロドフ・ビンネル(Adolf Pinner)著, 丹波敬三譯, “無機化學 前篇”, 改正第9版, 1892年(明治25年), pp. 493-511.
→メンデルエッフらが定めた紀程循環ノ原則の詳しい解説があり、循環系統表が掲載されている。
・龜高徳平, “普通教育 化學講義實験書”, 東京開成館・大阪開成館, 1902年(明治35年)10月1日發行.
→原子量表(1902年萬國原子量委員ノ報告)の掲載はあるが、周期表の掲載はない。
・水津嘉之一郎, “ラヂウム講話”, 隆文館, 1914年(大正3年).
→“週期率表”が使用されている(p. 119)。
・永海佐一郎, “化學之眞髓”, 積善館, 1927年(昭和2年)9月15日發行.
→“元素の週期律表”
・日本化學會編, “化學語彙”, 増訂4版, 内田老鶴圃, 1928年(昭和3年).
→“元素週期律表”
・永海佐一郎, “高等教育 無機化學の基礎”, 3版, 内田老鶴圃, 1930年(昭和5年).
→“週期律表”(巻頭)
・野田貞, 内藤卯三郎, “師範學校物理學教科書”, 4版, 東京開成館, 1930年(昭和5年).
→“元素週期表”(pp. 290-292)
・柴田雄次, “中等新化學”, 訂正再版, 冨山房, 1932年(昭和7年).
→“週期表”(pp. 155-158)
・龜高徳平, “師範化學教科書”, 訂正再版, 東京開成館, 1932年(昭和7年).
→“元素週期表”(pp. 125-128)
・玉蟲文一, 白井俊明, “化學概説I”, 初版, 岩波書店, 1932年(昭和7年).
→“元素週期律表”(巻末)
・加藤興五郎, 永海佐一郎, “化學の教育方針と基礎及び應用”, 明治書院, 1932年(昭和7年).
→“週期律表”(pp. 33-52)
・東京天文臺, “理科年表”, 丸善, 1933年(昭和8年).
→“元素週期表”
・中谷徳太郎, “推理的化學學習法の實際”, 23版, 三省堂, 1935年(昭和10年).
→“週期律表”(pp. 117-132, 巻末)
・柴田雄次, “無機化學I(非金属)”, 初版, 岩波書店, 1936年(昭和11年).
→“週期表”, “元素週期律表”(pp. 9-10, 174)
・柴田雄次, “無機化學II(金属上)”, 初版, 岩波書店, 1940年(昭和15年).
→“元素週期律表”(pp. 8)
・永海佐一郎, “化學の發達史及び私の體驗”, 内田老鶴圃, 1941年(昭和16年)5月15日發行.
→“メンデレエフの元素週期律表”が掲載されている。
・槌田龍太郎, “化學外論(上巻)”, 共立出版, 1942年(昭和17年)1月30日發行.
→“週期表”が掲載されている。
→ 「§38. 週期律」や「§40. 週期表」に、週期律(periodic law)および週期表(periodic table)の明快な説明がある。
・槌田龍太郎, “金屬化合物の色と構造”, 攝i堂, 1944年(昭和19年)9月10日發行.
→“週期表”が掲載されている(p. 124)。
・石原純編, “理化學辭典”, 岩波書店, 1945年(昭和20年).
→“週期表”
・東京天文臺, “理科年表”, 丸善, 1947年(昭和22年).
→“元素週期表”
・槌田龍太郎, “化學序論1”, 2刷, 攝i堂, 1949年(昭和24年).
→“週期表”, “明徴週期表”(pp. 158-187)
・永海佐一郎, “高等教育無機化學の基礎(續編)”, 訂正5版, 内田老鶴圃, 1949年(昭和24年).
→“週期律表”(pp. 47-54)
・石川總雄, “詳解無機化學”, 改刻1版, 内田老鶴圃, 1949年(昭和24年).
→“週期律表”(第8章)
・小林正久, 他“新制圖解一般化學”, 2刷, 攝i堂, 1951年(昭和26年).
→“週期表”(pp. 49-55)
・槌田龍太郎, 原沢四郎, “分析化学実験法I”, 初版, 共立出版, 1953年(昭和28年).
→“週期表”(p. 131, 表紙裏)
・“岩波理化學辭典”, 岩波書店, 1953年(昭和28年).
→“周期表”
・白井俊明, “化學辭典”, 弘文堂, 1954年(昭和29年).
→“周期表”
・津田榮, “無機化学通論”, 17版, 裳華房, 1955年(昭和30年).
→“週期律表”(pp. 64-67)
・槌田龍太郎, “無機化學概論”, 岩波書店, 1956年(昭和31年).
→“周期表”(pp. 31-59)
・槌田龍太郎, “あたらしい化学”, 初版, 数研出版, 1961年(昭和36年).
→“周期表”(p. 160)
・柴田雄次, “再訂 無機化学T・U・V”, 岩波書店, 1962年(昭和37年)8月7日発行
→“元素周期律表”が掲載されている(Tのp. 173)。
・津田栄, “基礎無機化学”, 新版5版, 裳華房, 1962年(昭和37年).
→“周期律表”(§1.4)
・東京大學教養學部化學教室編, “化學問題集”, 8刷, 東京大学出版会, 1962年(昭和37年).
→“周期律表”(pp. 95-96)
・化学大辞典編集委員会編, “化学大辞典4”, 初版2刷, 共立出版, 1962年(昭和37年).
→“周期表”, “周期律表”
・化学同人教科書研究会編, “化学序説”, 新版2刷, 化学同人, 1964年(昭和39年).
→“周期表”(p. 29)
・神保元二訳, “アシモフ化学入門−周期律表による元素物語−”, 初版, 学習研究社, 1966年(昭和41年).
→“周期律表”
・日本化学会編, “実験化学講座(続)1基礎物性量の測定”, 丸善, 1966年(昭和41年).
→“周期律表”(p. 564)
・R. M. Hochstrasser著, 中津和三訳, “原子と電子”, 初版, 化学同人, 1966年(昭和41年).
→“周期表”(p. 64)
・E. M. Larsen著, 森正保訳, “遷移元素”, 初版, 化学同人, 1966年(昭和41年).
→“周期律表”(p. 4)
・大竹三郎編, “化学教育の体系と方法”, 初版, 明治図書, 1967年(昭和42年).
→“周期表”, “周期律表”(pp. 119-122)
・垣花秀武, 吉野諭吉, 福富博, “無機化学”, 4版, 廣川書店, 1967年(昭和42年).
→“周期律表”
・斎藤一夫, 柴田村治, “無機化学の基礎”, 初版, 大日本図書, 1967年(昭和42年).
→“周期表”(pp. 13-17, 表紙裏)
・実験化学便覧編集委員会編, “実験化学便覧”, 14刷, 共立出版, 1969年(昭和44年).
→“周期律表”
・永海佐一郎著, 永海ハツエ校訂, “化学の真髄と酸化および還元反応”, 内田老鶴圃新社, 1970年(昭和45年)5月10日発行.
→“元素の周期律表”が掲載されている。
・井本稔, 他, “化学のすすめ”, 初版, 筑摩書房, 1971年(昭和46年).
→“周期律表”(p. 108)
・永海佐一郎, 武田栄一, “化学の入門と原子核の化学”, 2刷, 内田老鶴圃新社, 1972年(昭和47年).
→「周期律を表であらわしたものを周期律表または周期表という」(p. 32)
・井口洋夫, “元素と周期律”, 4版, 裳華房, 1972年(昭和47年).
→“周期表”(3.4 周期表)
・吉野諭吉, 他訳, “新しいケムス化学”, 廣川書店, 1972年(昭和47年).
→“周期表”
・湊宏訳, “コットン・新ケムス化学 探求の過程”, 丸善, 1972年(昭和47年).
→“周期表”
・大木道則訳, “バリー・新ケムス化学 実験に基づく科学”, 丸善, 1973年(昭和48年).
→“周期表”
・日本分析化学会編, “周期表と分析化学”, 丸善, 1975年(昭和50年).
→“周期表”
・斎藤一夫編, “周期表の化学”, 初版, 岩波書店, 1979年(昭和54年).
→“周期表”
・米山正信, 高塚芳弘, “第9化学のドレミファ”, 初版, 黎明書房, 1981年(昭和56年).
→“周期律表”(p. 124)
・文部省, “学術用語集化学編”, 南江堂, 1982年(昭和57年).
→“周期表”
・板倉聖宣編, “元素の発明発見物語”, 初版, 国土社, 1985年(昭和60年).
→“周期表”(pp. 141-146他)
・木村信夫, “考察立体周期律表”, 初版, 東京図書出版会, 2004年(平成16年).
→“周期律表”
・Eric R. Scerri著, 馬淵久夫他訳, “周期表”, 初版, 朝倉書店, 2008年(平成20年).
→“周期表”
昭和の前半期、周期表(週期表)と周期律表(週期律表)が混在する時代が続いていました。
昭和3年の“化學語彙”は日本化學會の編纂ですが、元素週期律表との表記でした。化学の専門家が集う組織である日本化学会が編纂する用語集に元素週期律表と掲載されているのですから、この時代にはむしろ週期律表の方が一般的に使われていたことを推測させます。
昭和37年の化学大辞典では、周期表と並んで周期律表の項目(周期律表(periodic table)=周期表)があり、まだこの時代では、どちらも認められた存在であったことが分かります。
昭和の後半期は圧倒的に周期表が多くなっていきましたが、出版物を辿っていくと、周期律表もなかなか根絶されずに、平成の世になってもごく僅かに残っていることが分かります。
【“周期率表”】
インターネット上で検索してみると、“周期率表”という使われ方まであることを知りました。日本語変換ミスとも思われますが、“周期率表”では全く意味が分かりません。
さらに、“同期表・元素同期表”というのもありました。周と同、ぱっと見た目は似ていますが、言うまでもなく意味も読み方も全く違います。
【提言】
化学の教育現場で、“周期律”と“周期表”を紹介する際に、
“周期律表”という言い方は間違いである
と積極的に伝える必要性を感じています。
さらにマスコミをはじめ社会一般で、“周期律表”が使われている場面がたびたびあり、周期律表ではなく周期表です、という地道な啓発活動が必要かと思っています。
【学術用語(専門用語)について】
言葉(用語)は、使う人間がみなその言葉(用語)の示す意味を同じように理解していて初めて、意思疎通の道具として使うことができます。
専門分野の専門家が使っていない疑似専門用語は、社会における正確な意思疎通の障害となります。
いつか誰かが(故意にしろ無意識にしろ)創った言葉(用語)が、その言葉(用語)の示す意味がはっきりしないままに繁殖している例が多々あります。
専門分野の専門用語はその分野の専門家が一番使い慣れていますから、専門家は専門用語の世間での誤った使われ方を訂正したり、定義のはっきりしない疑似専門用語を否定する作業をしていく必要があると感じています。
このページの内容については、以下の文献に詳しく書いてあります。
・坂根弦太著, "化学用語としての周期表の今昔物語(講座:化学の大学入試問題を考えるための基本)", 化学と教育(Chemistry & Education), 58巻, 4号, 190-193頁, 2010年04月, 日本化学会.
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岡山理科大学 基盤教育センター 坂根弦太
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